山吹弓美@愛鳴之藩国さん依頼SS
陽の当たる場所にて
遠い遠い日の夢を見た。
/*/
つるりとした部屋。ツンと鼻に付くにおい。
部屋は清潔を通り越して無機質に近く、天井は高くて遠い気がする。
意識が朦朧とする中、窓を見た。
窓は高くて小さい。ここの場所を詳しくは知らないが、光が漏れない事から北側なのだろうかと思った。
自分の身体が、どんどん思うように動かなくなっていくのが分かる。
やがて、完全に動かなくなるだろう。
終わりが来ると気がついて、たくさんしたい事ができるのは罪深い事だろう。
陽の当たる場所で、陽を浴びたい。ただそう思った。
それだけだった。
目を閉じた。
もう開ける事も叶わないだろう。そう思いながら。
目が覚めた時、初めて嗅ぐような匂いに戸惑った。
木の匂いがする。
目が覚めた場所は、木々が生えた美しい庭の見える小さな家だった。
大きいと言う程でもないが、木々は丁寧に切り揃えられ、青々としていた。
やがて、自分が木の繊維を編み込んだ床に座っている事に気がついた。
匂いがした。ああ、この木の繊維の匂いだったのか。
空を仰げば、空は雲一つなく青く澄み渡り、陽が燦燦と注いでくる。
これは死後の世界だろうか。そう思った。
陽の当たらない場所にずっといて、思っている以上に身体は冷え切っていたのだろうか。身体がじんじんと温もってくるのが分かる。
ただ、座っていた。
座っているだけで満足していた。
「ごめんください」
「あら。……失礼しまーす」
声が聞こえた。
死後の世界でも人と出会う事はあるんだな。そう思って視線をそちらに向けた。
庭に歩いてきたのは、一組の男女であった。
「こんにちは、始めまして。花井柾之と申します。ベルカインさんでらっしゃいますか?」
「山吹弓美と申します」
二人はそれぞれこちらにペコリと頭を下げた。
久しぶりだった。こうして人と話をするのは。不思議と笑みが零れた。
死んでいい事もあるものだ。
「死後の世界が、こんなに暖かいとは思っていませんでした」
そう返すと、二人は悲しそうな顔をした。
何故悲しい事があるのだろう。そう思った。
陽がこんなに暖かく、空がこんなに青いのに。
「なぜ、悲しそうなのですか? 私に手伝えることがあれば、なんなりと」
そう声をかけた。
二人は何やら少し話し合った後、こちらに声をかけてきた。
……上手く聞き取れない。
生きていた頃の名残なのだろうか。
「すみません、もうあまり良く聞こえません、もう一度、言っていただけますか」
「……、近くで話した方がよさそうですよ」
女性が男性を肘でトントンとつつくと、男性は慌てて前へ出た。
「はい。貴方にお渡しすべきものがあるのです」
男性は何かを見せた。
思わず、目を大きくした後、また笑みが零れた。
涙が、溢れた。
男性が見せたのは、ペンダントであった。
一番幸せだった頃の、証である。
何故持っているのだろうかとも思ったが、今はそれが懐かしい。
男性は自分の掌にそっとペンダントを乗せた。
それを思わず、額に当てた。
ペンダントを額に当て、そのまま空を見た。
空は青い。
「ああ、良いお天気ですね」
女性はそう言いながら自分と同じように空を見た。
「いい、空ですね」
ペンダントをくれた男性も同じように空を見た。
「死ぬことにも幸せはありますね」
本当にそう思った。
「生きている事にも幸せはあるんですから、死ぬことに幸せがあっても不思議じゃないです」
「ええ。死んでから気付きました」
「ありがとう。どなたか知らないが、ありがとう」
ありがとうの言葉は、何度言っても尽きる事はなかった。
「どういたしまして」
男性はそう答えた後、少し複雑そうな顔をした。
「……手紙、読んでくださいましたか?」
「どんな、手紙ですか?」
「会っていただきたい方がいるという事を書いた、手紙です」
それは悪い事をしたなと思った。
「無理です。手紙は届きません」
あそこがどんな場所かは分からない。
しかし、自分に当てた手紙が届く事がない事だけは確かである。
「……そのペンダントは、対のものがあるというお話を伺いました。対を渡されたお相手のことを覚えていらっしゃいますか?」
「覚えています。生きている間も、今も、できうることなら、永遠に。実験とやらを受けていたときも、想っていました」
そう口にすると、男女は顔を曇らせた。
「……そのお相手の方に、もし会えるとしたら、どうなさいますか」
彼女の事を思い出した。
いや、いつも想っている。
自然と首を振った。
「もう、許してあげてください。出来るなら私と関わらず、幸せに暮らさせてあげてください。これがあれば、もう、私は満足です」
「幸せ、ですか?」
男性はこちらを見て言った。
「貴方はそれで本当に幸せですか?」
それには、自信を持って答えられる。
「はい」
男性は涙をこらえてこちらを見た。
一方女性は、納得がいかないと言うのをこらえているように感じた。
二人を見ていると、溢れる涙を止める事ができなかった。
「今頃になってやりたいことがたくさん出来るのは、私は愚かですね」
自然と、生きていた頃にしたかった事が頭をよぎった。
「もっと人にやさしくすればよかった。子供をつくればよかった、舞に笑顔を向けてやればよかった」
「やればいいじゃないですか、やりたい事は。やらずにいることのほうが愚かじゃないですか」
男性はこらえていた涙がこらえきれなくなったらしい。ぐしゃぐしゃとした顔でこちらを見た。
それは、もう叶わない話だけど。
寂しく、そう微笑んだ。
/*/
目が覚めた。
目が覚めた場所は、鼻につく匂いのしない、畳の匂いのする場所だった。
あの時木の繊維と思っていたものは、畳と言うものだったのである。
縁側に座っていると、空が見える。
それがとてもありがたい事だと言う事はよく分かっている。
あれから、たくさんの出来事があった。
自分はもうすぐ死ぬものだと思っていた。だから、せめてこの世界が少しでもよくなるようにと、自分にできる事をするようになった。
そして、それをいつも見ていてくれる人に出会えた。
「ベルカインーっっ」
声がする。
振り返ると、いつものように山吹弓美……あの時にいた女性だ……が走って来た。
彼女は元気だ。いつも彼女からエネルギーをもらっている。
「弓美」
「大丈夫? 無理をしていない?」
「大丈夫だよ」
彼女は「そう」と嬉しそうに言った後、いつものように抱きついてきた。
彼女自身は知っているのだろうか。彼女がいたから、もっと生きてみようと思ったのを。
今日も陽は暖かく、空は晴れている。
きっとこれを、幸せと言うのだろう。
遠い遠い日の夢を見た。
/*/
つるりとした部屋。ツンと鼻に付くにおい。
部屋は清潔を通り越して無機質に近く、天井は高くて遠い気がする。
意識が朦朧とする中、窓を見た。
窓は高くて小さい。ここの場所を詳しくは知らないが、光が漏れない事から北側なのだろうかと思った。
自分の身体が、どんどん思うように動かなくなっていくのが分かる。
やがて、完全に動かなくなるだろう。
終わりが来ると気がついて、たくさんしたい事ができるのは罪深い事だろう。
陽の当たる場所で、陽を浴びたい。ただそう思った。
それだけだった。
目を閉じた。
もう開ける事も叶わないだろう。そう思いながら。
目が覚めた時、初めて嗅ぐような匂いに戸惑った。
木の匂いがする。
目が覚めた場所は、木々が生えた美しい庭の見える小さな家だった。
大きいと言う程でもないが、木々は丁寧に切り揃えられ、青々としていた。
やがて、自分が木の繊維を編み込んだ床に座っている事に気がついた。
匂いがした。ああ、この木の繊維の匂いだったのか。
空を仰げば、空は雲一つなく青く澄み渡り、陽が燦燦と注いでくる。
これは死後の世界だろうか。そう思った。
陽の当たらない場所にずっといて、思っている以上に身体は冷え切っていたのだろうか。身体がじんじんと温もってくるのが分かる。
ただ、座っていた。
座っているだけで満足していた。
「ごめんください」
「あら。……失礼しまーす」
声が聞こえた。
死後の世界でも人と出会う事はあるんだな。そう思って視線をそちらに向けた。
庭に歩いてきたのは、一組の男女であった。
「こんにちは、始めまして。花井柾之と申します。ベルカインさんでらっしゃいますか?」
「山吹弓美と申します」
二人はそれぞれこちらにペコリと頭を下げた。
久しぶりだった。こうして人と話をするのは。不思議と笑みが零れた。
死んでいい事もあるものだ。
「死後の世界が、こんなに暖かいとは思っていませんでした」
そう返すと、二人は悲しそうな顔をした。
何故悲しい事があるのだろう。そう思った。
陽がこんなに暖かく、空がこんなに青いのに。
「なぜ、悲しそうなのですか? 私に手伝えることがあれば、なんなりと」
そう声をかけた。
二人は何やら少し話し合った後、こちらに声をかけてきた。
……上手く聞き取れない。
生きていた頃の名残なのだろうか。
「すみません、もうあまり良く聞こえません、もう一度、言っていただけますか」
「……、近くで話した方がよさそうですよ」
女性が男性を肘でトントンとつつくと、男性は慌てて前へ出た。
「はい。貴方にお渡しすべきものがあるのです」
男性は何かを見せた。
思わず、目を大きくした後、また笑みが零れた。
涙が、溢れた。
男性が見せたのは、ペンダントであった。
一番幸せだった頃の、証である。
何故持っているのだろうかとも思ったが、今はそれが懐かしい。
男性は自分の掌にそっとペンダントを乗せた。
それを思わず、額に当てた。
ペンダントを額に当て、そのまま空を見た。
空は青い。
「ああ、良いお天気ですね」
女性はそう言いながら自分と同じように空を見た。
「いい、空ですね」
ペンダントをくれた男性も同じように空を見た。
「死ぬことにも幸せはありますね」
本当にそう思った。
「生きている事にも幸せはあるんですから、死ぬことに幸せがあっても不思議じゃないです」
「ええ。死んでから気付きました」
「ありがとう。どなたか知らないが、ありがとう」
ありがとうの言葉は、何度言っても尽きる事はなかった。
「どういたしまして」
男性はそう答えた後、少し複雑そうな顔をした。
「……手紙、読んでくださいましたか?」
「どんな、手紙ですか?」
「会っていただきたい方がいるという事を書いた、手紙です」
それは悪い事をしたなと思った。
「無理です。手紙は届きません」
あそこがどんな場所かは分からない。
しかし、自分に当てた手紙が届く事がない事だけは確かである。
「……そのペンダントは、対のものがあるというお話を伺いました。対を渡されたお相手のことを覚えていらっしゃいますか?」
「覚えています。生きている間も、今も、できうることなら、永遠に。実験とやらを受けていたときも、想っていました」
そう口にすると、男女は顔を曇らせた。
「……そのお相手の方に、もし会えるとしたら、どうなさいますか」
彼女の事を思い出した。
いや、いつも想っている。
自然と首を振った。
「もう、許してあげてください。出来るなら私と関わらず、幸せに暮らさせてあげてください。これがあれば、もう、私は満足です」
「幸せ、ですか?」
男性はこちらを見て言った。
「貴方はそれで本当に幸せですか?」
それには、自信を持って答えられる。
「はい」
男性は涙をこらえてこちらを見た。
一方女性は、納得がいかないと言うのをこらえているように感じた。
二人を見ていると、溢れる涙を止める事ができなかった。
「今頃になってやりたいことがたくさん出来るのは、私は愚かですね」
自然と、生きていた頃にしたかった事が頭をよぎった。
「もっと人にやさしくすればよかった。子供をつくればよかった、舞に笑顔を向けてやればよかった」
「やればいいじゃないですか、やりたい事は。やらずにいることのほうが愚かじゃないですか」
男性はこらえていた涙がこらえきれなくなったらしい。ぐしゃぐしゃとした顔でこちらを見た。
それは、もう叶わない話だけど。
寂しく、そう微笑んだ。
/*/
目が覚めた。
目が覚めた場所は、鼻につく匂いのしない、畳の匂いのする場所だった。
あの時木の繊維と思っていたものは、畳と言うものだったのである。
縁側に座っていると、空が見える。
それがとてもありがたい事だと言う事はよく分かっている。
あれから、たくさんの出来事があった。
自分はもうすぐ死ぬものだと思っていた。だから、せめてこの世界が少しでもよくなるようにと、自分にできる事をするようになった。
そして、それをいつも見ていてくれる人に出会えた。
「ベルカインーっっ」
声がする。
振り返ると、いつものように山吹弓美……あの時にいた女性だ……が走って来た。
彼女は元気だ。いつも彼女からエネルギーをもらっている。
「弓美」
「大丈夫? 無理をしていない?」
「大丈夫だよ」
彼女は「そう」と嬉しそうに言った後、いつものように抱きついてきた。
彼女自身は知っているのだろうか。彼女がいたから、もっと生きてみようと思ったのを。
今日も陽は暖かく、空は晴れている。
きっとこれを、幸せと言うのだろう。
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
http://idressnikki.blog117.fc2.com/tb.php/208-b56ba207